2025/3/22

1&1

人から生み出されるものの全ては、それが内情的または潜在的であっても、何らかの形である程度まで可視化(または具体化など)できる手段があります。

話は変わって、例えば、コミュニケーションのために何らかの手段を試みた人間双方にとって、その手段が客観的に具体性を帯びて無いにも関わらず、具体性を持ち合わせた結果や過程であった場合に、どの程度の解像度で互いに伝達されるのか、知りたいと思いました。そして、その方法はコミュニケーションとしての役割を果たしているのでしょうか。それとも、何らかの異なった行為として成り立っているのでしょうか。

全てをコントロールできない行為から生み出される可視化された物体に、昔ながらの魅力と、近頃は希望を感じています。

2024/12/7

耳の山

12月になると、国全体でクリスマスの搬入が始まるような、内外関係なく、会期のある展覧会が始まるような感覚になります。

ドローイングは、背景の放出や状態の保存や記録の手段として用いてきましたが、それだけではない可能性があるのだと再認識しています。もしかしたら、絵画的表現以上の、人間同士のコミュニケーションとして、結びや離別などのツールとして使用できる可能性を秘めているのかもしれないと、意識しているのです。描くという手段について、私はたったの一部分しかまだ認知していないのかもしれません。

「耳の山」は、サンタクロースが住んでいる場所の名前を日本語訳したもので、フィンランド語で、「コルヴァトゥントゥリ」というそうです。

作家が様々な事柄を考えながら、何かをつくることと同じように、クリスマスを暖かな場所で過ごすのは、とても幸せなことなのだと昨今強く思います。


2024/10/26 

痕を起こす(こんをおこす)Awaken the traces

膨大な時間と歴史の中で、変貌し続ける猿島には、人や動物や植物や現象が生んだ文字 や線や絵が浮かび上がっています。歴史のファクターとなり得るその痕跡たちは、島の中でまとまっていて、島全体が媒体となり、一つのドローイングのように見えます。そしてそれらのドローイングは、私では決してつくることのできない、複合的で絵画的な魅力が感じられます。触れることの許されないこの遺跡に、ほんの少しでも近づきたいと思い、島のドローイングを複写し、光を灯しました。

Amidst the vast expanse of time and history, Sarushima continues to transform, with letters, lines, and drawings emerging̶created by people, animals, plants, and natural phenomena. These traces, which could serve as historical markers, are gathered within the island, making the entire island seem like a medium, resembling a single, intricate drawing. The drawings evoke a complex, pictorial charm that I could never create myself. Wanting to get even a little closer to these untouchable ruins, I copied the island’s drawings and illuminated them with light.

2024/10/26

猿は歩く(さるはあるく)The white monkey walks

猿島の名前の由来には、猿島に辿り着き嵐で途方に暮れた日蓮上人を、白い猿が導いたという伝説から、その名がつけられたとされています。今の猿島に猿はいませんが 、白い猿が猿島の何処かでこちらを見ていたら、どのような事を思うでしょうか。 何かが起こったときに、また導いてくれるのだろうかと、そんなことを考えながら猿島を歩いていたら、良いことをしておこうかな、と思ってみたり。人ならではの、気持ちがこぼれ落ちます。

The origin of the name "Sarushima" is said to come from a legend in which a white monkey guided Nichiren Shonin, who was stranded on the island after a storm. Although there are no monkeys on Sarushima today, I wonder what the white monkey would think if it were watching us from somewhere on the island. Would it guide us again if something happened? As I walked around Sarushima with these thoughts in mind, I found myself thinking, maybe I should do something good. It's a feeling that spills out naturally̶something unique to being human.

2024/9/12

満願に出会う

三島満願芸術祭の「満願」の意味を、私は初めて芸術祭の運営メンバーと6月に顔合わせをしてから、 聞いてこなかった。なぜだろうか。本来始めにに聞くべき話であって、いつもの私のやり方であれば、 展覧会や芸術祭のベースとなるテーマやタイトルについてリサーチするはずが、窓口部分を置き忘 れて調べ始めていた。(※運営陣から沢山お話しは聞いていたのだけど、何故か満願だけどこかに)

満願の意味を聞かずに9月半ばに突入する頃、カフェ・ラ・ペーという元々喫茶店だったらしい場

所が空いていて、場所として使用できるかもしれないと、代表の山森さんからお達しがあり、三島

といえばスナックだと思っていた私は、再びラ・ペーを見る目的を含めて、三島のリサーチをしに

訪れた。カフェを拝見するまで少し時間が空くというので、三島市立の図書館で、三島の歴史に関

する文献を読みながら行き詰まっていた私は、別のカテゴリーの三島本を読むことにした。

三島には日本の有名な文豪たちが度々訪れている。丁度、小説家である檀一雄の小説『太宰治』を 読み、太宰話で盛り上がっていた私は、中尾勇氏のよる『三島文学散歩』という本を手にし、太宰 治のエピソードが掲載されているページを読んでいると、満願という単語が出てきた。

「あれ」と思った私である。 約3ヶ月が経ち、ここで満願の意味を知らないことに気づいた。読むと、どうやら満願とは、太宰 治が三島を舞台に書いた短編小説のタイトルだそうで、満願について分析されたものが、三島文学 散歩には載っていたのである。満願に出てくる主人公と医者、医者の奥さん、そして美しい女性の、 それぞれモデルになったと思われる人物の分析や、おそらく三島のこの場所が小説内の場所と景観 が一致するのではないか、など、とても細やかに書かれていて、もしかしたら、三島満願芸術祭の 満願の意味は、太宰治の満願から来ているのではないか?と思い、確認すると、どうやらそこから 来ているようで「私は図らずともひとりでに満願と会えた」と、三島をリサーチしていればいずれ 必ず出会う鉄板的な代表作品との出会いに、浸っていたのである。

しかし、この中尾勇氏の著書の中での出会いがもう一つあり、これは流石に引きがいいと感じたも のがある。著書の一文に「ラ・ペー喫茶店」という単語が出てきた。どうやら、小説の満願に出てくる、 人物のモデルとなった愛人が営んでいたお店の一帯が、ラ・ペー喫茶店を含む広瀬川沿いを巧に利 用して風情ある雰囲気を漂わせる、広瀬楼という大きな割烹料理店を営んでいたという。ラ・ペー 喫茶店は私がこれから行くところではないか?と思い、他に似たような三島の喫茶店もないし、お そらくこれから展示の舞台として、拝見させていただく場所だ。なんだか縁起が良いなと思った。

この文章を書いている今この時は、ラ・ペー喫茶店を見にいく直前で、とても楽しみにしているし、 しかし、展示場所として使えるかはまだわからない。願いが満たされた時には、私は外へ飛び出して、 町内を一周してしまったりするが、太宰治の満願に出てくる美しい女性のように、パラソルをくる くるっと回しながら、さっさと飛ぶように歩いて、喜びを表してみたいものだと思った。

2024/9/13

ラ・ペーのシャッターを開けたい

ラ・ペー喫茶店を午後13時半に拝見できることになった。三島満願芸術祭のボランティアさんで 窓口係と名乗るおっしーが、仕事の半休をとり、スーツを着て革靴を履いて、同行してくれた。私 はというと、知人が描いた奇妙で可愛いラッコをシルクスクリーンで刷ったエプロン姿で来てしま い、気難しい大家さんだったらまずいかも、と思いつつ、おっしーがラ・ペーの前で大家さんに電 話をした。すると、明るい女性の声が聞こえてきた。ワンコが吠える声もして、シャッターを少し 開けてくれた。裏口から回って入ってくださいとのことだったので、裏口から回ると、明るくて可 愛らしい大家さんのヒロミさんと、ふわふわのマロンが番犬ばりの勢いでヒロミさんに抱えられて、 出迎えてくれた。

ヒロミさんは、電話口同様とても明るく、花やかで、誰からも好かれそうなお人柄だった。マロン

はヒロミさんを守るかのように、ふわふわの毛をゆらしながら吠えていた。

早速今は使われていない店内も見させてもらった。

居心地の良さそうなカウンターや、綺麗に掃除された床、当時使われていたであろうおしゃれな椅

子たち、少し歩いてシャッター側に立って、すーっと一本通ったカウンターの方向を見ると、陽の

入り方がとても綺麗で、大正ロマンを感じさせる気持ちの良い空間だった。

ラ・ペーは、ヒロミさんのおじいさんの代から始まった、どうやら三島でもかなり古い喫茶店との ことで、昔の有名な俳優さんたちが沢山来るような場所であったこと、昔はララかラ・ペーか、と いう流れがあったことなど、ヒロミさんは先代から聞いたであろう話を沢山してくれた。(ララとは、 太宰治が最も好んだ洋菓子店と伝えられていて、それを知った私も昨日行こうとしたところ、1ヶ 月前に閉店していた。)

ヒロミさんに、もう喫茶店はやらないんですか?と聞くと、どうやらやりたい気持ちが残っている ようで、その気持ちもあり、床は綺麗にしているし、キッチンの水は通っているし、電気も全てつ くようになっている。ラ・ペーの看板も残っており、看板については、外しても良いんじゃないか と言われているけれど、なかなか外せない、とおっしゃていて、そんなヒロミさんの様子に、私は、 気持ちがつのっていく。 昔の貴重な白黒写真も沢山残っていて、もしかしたら太宰さんが載ってるかもれませんね、などと 私は言いなながら、ヒロミさんのご家族の写真や、当時喫茶店に来ていたお客さんたちの記録を眺 めていた。

この芸術祭のテーマには、シャッターをあける、というのが主軸にある。であれば、私はラ・ペー のシャッターを開けたいなと思った。芸術祭が終わったとしても、ヒロミさんの明るい接客と共に 残り続ける場所にしていきたいと思ったのだ。

ヒロミさんは、作家さんのインスピレーションでなんでもやっていいとおっしゃっていただいて、 最後に連絡先を交換し、次は9月末に、と約束をして、お店を後にした。 ラ・ペーのすぐそばを流れる源平川がとても綺麗で、でかい犬がびしょびしょになりながら泳いで いて、とにかく私はとてもとてもとても楽しみだなと伝えたい。

2024/2/10

キャパ

やめたり、距離をおいたり、こわしたり、方法を変えながら、合致を目指す。

言葉が奥に流れこみ、除けず、入ったことすら忘れて、苦しむが、垂れ流したり、曝け出すことで形跡をたどり、もう一度思い出す。

ドローイングは根で背景で、絵画は形であることを思い出す。

2023/6/9

うえてかえる

ぎちぎちの緊張を柔らかく、ぶつぶつとフォークで穴を空けるように解していくと、味の染み込んだ柔らかい肉ができるように、絵も何かが入り込んで反応するかもしれない。

捉えなくなった、あるいは、捉えられなくなった時から、表現は終了していて、別の何かになっていた。

私は、土を入れ替えて、様子をみながらこまめに水を与えて、太陽の光を沢山あびさせる事にしました。

やわらかくすることでおきる偶然の産物は、オレンジめの夕方に布団で眠るような、心地のいいものであってほしい。

2/18

Vague Show

確実な要素と、不確実な要素の、共存はありえるのでしょうか。

双方はとても好ましいです。

合わさると濁ってしまうのかな。

考えています。

2021/7/24

town

強く何かを感じた物事は小さな頃からどれだけ時間が経っても、記憶に残されているものなのでしょうか。

20代の今、不意にひとつ、またひとつにそれらを思い出し、改めてみつめる事で、子供の頃に落とした自身の欠片を拾ってあげている気分になります。

2021/1/19

don't try.

「I don’t know how to say goodbye.I can’t think of any words.」

「don't try.」

言葉が見つからないと、オードリー・ヘプバーンが伝え、

言葉はいらないと、グレゴリー・ペックは返します。

何らかのかたちを確定することと、しないことの、思想が対立し、答えを出そうとします。

かたちを決めることについて、かたちはひとつひとつ違うので、どれも確定することはできないのだろうと思います。

大きなくくりでまとめて、確定することもできないのだろうと思います。